現在の新暦と旧暦とでは、ご存じ月がずれている。この二つを比べたら、季節表示では旧暦に軍配が上がりそうだ。新暦三月は旧暦の冬が終わり春へ。九月は夏が終わり、秋へ。
しかし、二十四節気を重ねると、どうもぴんと来ない。季節も、中央政府のお仕付けで、脊振では一部、ぴんと来ない。ぴん、がなかったら自分で創れ、で、やってみようというのが、今回の実験暦。
さて十月、神無月。別名、神去月や小春月とも。
神無月、古くは、この月に全国の神々が出雲で全国大会を開催し、そのために各地に神が不在となるから神がいない月、と、されていたが、真実新説は、醸成月・かみなんづき、がなまってかんなづき。
つまり、来月の新嘗の準備のために新酒を醸す月、平たく言えば、宴会の準備のために予備宴会で盛り上がろうとする有り難い月なのであります。
もっともそのためには「山の神」はご不在がよろしく、その点では神無月かも。
季節の区切りは寒露と霜降がやってくる/上の暦参照。
寒露は、秋分後の十五日目に当たる日で、文字どうり、野原に冷たい露が降り、雁や鴨など冬鳥がそろそろ渡ってくる季節。
また霜降は、秋も深まって終わりに近づき、霜が降りる季節。楓や蔦も紅葉し始め、いよいよ冬の熱燗が接近であります。
今回は、勝手に生活暦なんぞを創っていましたが、その完成に向かって、まず、お月様を見直してみます。
旧暦と新暦を比べると、旧暦のほうが季節感に溢れていますが、新暦の生活習慣からは逃げられるものではない。そこで、季節実感を取り戻す一つとして、旧暦の元とも言えるお月様の部分をいただこうという寸法です。
学生にかえって復習。月は地球にもっとも近い星で、太陽に対して陽陰とも呼ばれ、太陽の光りを反射して地球を照らしています。
太陽と地球との位置関係で満ち欠けを繰り返し、新月・上弦・満月・下弦と姿を変え、その平均周期は二九、五三○五八九日、この数字がいわゆる月齢です。
また、この月齢は旧暦の日付とほぼ対応しており、旧暦十三日の夜は十三夜、十五日の夜は十五夜、と、まぁ何とも便利なものでした。これだったら、カレンダーいらないもんね。
お月様が出始める新月から次の新月までがひと月。また、そのひと月は上旬・中旬・下旬のみっつに分けられ、一つの旬が約十日。季節の旬はこの旬をさし、だから物が美味しい旬も、約十日間であります。
お月様と親しくなるための近道は、お月様の名前を覚えてしまうこと。
まず始まりは新月。別名、朔月/さくつき/ついたち。月の始まりは月が夜空に旅立つ月立ち/一日から。この時、まだ月は地球の影に隠れて見えませんが、三日もたつと夕方、西の空にうっすらと三日月が姿を出します。
やがて右側が明るい半月の上弦の月、別名、弓張り月。昼間に昇って夜半に沈みます。そしていよいよ十三夜の宴会。この日から月待ちと言って、満月を待つ宴会を毎晩しなければなりません。そして満月、十五夜の宴会。満月は日没とほぼ同時に出て、この日を境に、月の出は次第に遅くなってきます。
遅くなるから、月の出るのを待つ姿勢も違い、座って待つ居待月/十八夜、寝て待つ寝待月/十九夜、夜更けまで待つ更待月/二十夜、そして下弦の月へと続きます。
十五夜を過ぎた月の総称として、夜明けまで月が残っているから有明月、また、夕方から月が見えるので夕月、とも。
過ぎ行く秋を感じながら虫の声をさかならチビチビと座って、夕月の寝待月を見ていたら飲み過ぎて有明の月になっちゃった、なんて、風情があると思いませんか。
さて、中秋の名月の十五夜に対して秋の十三夜/上の暦参照。別名、後の月の日。また、十五夜を芋名月と言うのに対して栗名月。
十五夜が中国の習慣のマネに対して、栗名月の十三夜は日本独自の風習。各地ではこの日に合わせて秋の収穫祭を行うところも多く、個人的にはこっちの方が肌に合っている。昔から、十五夜の宴会を行っておきながら十三夜の宴会をしないのは片見月と呼び、たいへん嫌っていた。ぜひ秋の、そして季節の、いや月が昇る限り、日々の宴会をいたしませう。