せせらぎからは螺旋に続く循環を…
森からはガイアの営みを…
縄文からは自由な心と火のある暮らしを学びました。
そして、そんな暮らしづくりのお手伝いをしたい、
脊振の森のちにた、です。
福岡から脊振村に移転して20年がたとうとしています。村は町に名称が変わりましたが、暮らしはいつまでも自然に寄り添っています。
石器時代、縄文時代と、脊振「鹿路」の人々は川を主な通路として利用していました。城原川、名尾川(嘉瀬川)、福岡側からは室見川がその主なルートです。当時の遺跡と石器などはほとんどこのルートから出土しています。数年ほど前、蓬原の川岸で明らかに石器と思われる黒曜石を掘り出したのですが、紛失したのが残念です。
この頃までは「鹿路」は移動のルートとして使われ、まだ人が住む土地ではありませんでした。それが、集落として芽生えるのは弥生時代からです。 57年の倭奴国の朝貢、そして107年に朝貢したのが倭国王「帥升」だと、中国の歴史書(後漢書東夷伝)に糸島、福岡に国が誕生していた記録があります。このころ、九州と朝鮮半島には明確な国境は無く、さかんに人々はそれぞれを往来していました。
しかし、二十四節気を重ねると、どうもぴんと来ない。季節も、中央政府のお仕付けで、脊振では一部、ぴんと来ない。ぴん、がなかったら自分で創れ、で、やってみようというのが、今回の実験暦。
二十四節気も、実感できるように改ざん、いや改良。九月をとれば、重陽の節句なり菊見酒なり。三月三日の桃、五月五日の菖蒲、七月七日の七夕、そして九月九日の菊。特に九月は、酔うの、いや、陽の数字である九が重な重陽の節句なり菊見酒なりるので重陽。
何ともめでたき酔う酔う、の日であります。中国は漢の時代から「柑橘を香らせ、餅を食べ、菊花の酒を飲まば、人をして長寿ならしむ」というくらいなので、是非とも人間として守らねばならない行事でありましょう。 この日ばかりは、下戸は許されざる存在です。現代なら、焼酎にきりっとゆずを搾って菊を浮かべ、手焼き煎餅なんぞを噛りながらぐっとやる。うーん、いいですね。
ところでこの菊、日本には奈良時代に重陽の節句の「酒」用として中国から伝わりました。また菊には精油分やアデニン、コリンなどといった、よく分からないですが、薬効成分が豊富にあり、とにかくそれで頭痛、めまい、耳鳴りが収まったり、気分がすっきりとしてきます。
さて十月、神無月。別名、神去月や小春月とも。 神無月、古くは、この月に全国の神々が出雲で全国大会を開催し、そのために各地に神が不在となるから神がいない月、と、されていたが、真実新説は、醸成月・かみなんづき、がなまってかんなづき。
つまり、来月の新嘗の準備のために新酒を醸す月、平たく言えば、宴会の準備のために予備宴会で盛り上がろうとする有り難い月なのであります。 もっともそのためには「山の神」はご不在がよろしく、その点では神無月かも。
寒露は、秋分後の十五日目に当たる日で、文字どうり、野原に冷たい露が降り、雁や鴨など冬鳥がそろそろ渡ってくる季節。 また霜降は、秋も深まって終わりに近づき、霜が降りる季節。楓や蔦も紅葉し始め、いよいよ冬の熱燗が接近であります。
今回は、勝手に生活暦なんぞを創っていましたが、その完成に向かって、まず、お月様を見直してみます。 旧暦と新暦を比べると、旧暦のほうが季節感に溢れていますが、新暦の生活習慣からは逃げられるものではない。そこで、季節実感を取り戻す一つとして、旧暦の元とも言えるお月様の部分をいただこうという寸法です。
アクセス:JR「神埼」下車
南口改札 徒歩2日
三瀬トンネル」
三瀬通過 車25分
学生にかえって復習。月は地球にもっとも近い星で、太陽に対して陽陰とも呼ばれ、太陽の光りを反射して地球を照らしています。 太陽と地球との位置関係で満ち欠けを繰り返し、新月・上弦・満月・下弦と姿を変え、その平均周期は二九、五三○五八九日、この数字がいわゆる月齢です。
609 120また、この月齢は旧暦の日付とほぼ対応しており、旧暦十三日の夜は十三夜、十五日の夜は十五夜、と、まぁ何とも便利なものでした。これだったら、カレンダーいらないもんね。
609 120脊振の森のデザイン工房ちにた
住所:脊振町鹿路1718
山の中
ご相談・お問い合わせ
電話番号:090-8669-9231
E-Mail:tinita@sefuri.jp
作業開始 09:00 - 終了 17:00 ( 以降家庭内宴会)
昼寝
12:00 - 13:00