村の暦づくり

2000年当時の記録です。

 どうせ紹介するとやったら、「我家も脊振村に移住したか」という、田舎暮しの参考になるよう紹介します。
 まず私の棲んでいる場所は脊振村の鹿路(ろくろ)地区の越道(けいどう)集落。鹿しか歩かない路を進んで、大きな坂を超えると越道集落です。ここには何と5世帯もの人々が暮らす、(2019、3世帯)鹿路の中心地です。下の写真は、役場から鹿路へ向かう鹿路峠からのもので、正面に夕陽が沈むのは天山です。脊振の頂上は、越道からは北の方向に見えます。南は金立山が見えて、金立のさらに南下には長崎自動車道金立パーキングかあります。
 越道は標高約350mから450mで、人が人として暮らすには最適な標高です。実際クーラーは使いません。実は福岡の百道から引っ越してきた時に、持ってるクーラーは友人にあげちゃいました。
 越道は、私を除くとみんな農業に従事しながら、水田で、貴重な山のダムを守っています。実際、水田の貯水量は半端じゃありません。保守で阿呆な佐賀県は(注1)ダムを作るなんて言わずに、農家を大事にして山に木を植えなさいって。話がそれましたが、農家だから朝が早い!! 陽が昇れば行動開始。月番の用事だって、朝の7時前からがんがんです。「朝の9時前に連絡するのは失礼だ」なんて都会の感覚はま~~~~~~~~ったく通じません。普通は携帯で連絡なんて思うのが常識でしょうが、ここでは誰も携帯を持ってません、だって電波が入らず、圏外なんです。(2019、電波は入ります)
 季節を紹介すると、脊振に夏はありません。春が終わると梅雨で、10日から15日が、ま、夏で、すぐに初秋です。実際の暮らしは、五月の連休までこたつがあって、お盆を過ぎれば、夜の寝具は厚布団です。
 季節がきっぱりとしています。実にあっぱれ!!  季節と自然とともに暮らしている、そんな実感がわきます。来て、暮らしてよかった、です。
 今、焼酎を飲みながら書いています。下の鉄爺の屋根の煙突からは、夕食の煙りが立ち上り始めました。
 私事、これからネット上で、何とか森の暮らしがお伝えできれば幸いです。


我家の下の樹のうろで、ふくろうが巣をつくりました。初夏の出来事でした。

山のたんほには、彼岸花が満開です。このころよく、カメラマンが集まります。


稲刈りが終わると、乾燥です。いいわゆる「はさがけ」。


我家の軒に侵入したホップも、そろそろ収穫です。

このころ、山ではアケビが収穫時。これの皮がうまいんだ、ほんと。